COMPANY
会社情報
GREETING
ごあいさつ
協和交易㈱は1960年、日中間に国交がまだない時代に貿易を通じて両国の関係を発展させることを目指し創業されました。国交のない国と取引をするにあたり、多くの苦労を重ねたようですが、1972年の日中国交正常化以降は、事業を安定した軌道に乗せる事ができたようです。多くのお客様、仕入れ先様のご協力を頂き2020年12月で創業60周年を迎えることができました。
協和交易㈱は、貿易商社としてどのように皆様に貢献していけるかを考え、新たな事業にチャレンジして行きます。海外との物流やコミュニケーションを担うだけでなく、世界中の人、物、情報をつないで独自性のある事業を創造して行くことをモットーとしています。
中国貿易専門商社として天然商品、食品、雑貨の輸入を主に営んできましたが近年では、中国以外にもベトナム、フィリピン、インドネシア、インド等との取引を始め、より広い地域からの仕入れを開拓しました。また日本の食品や和室の部材等を輸出する事業にも注力しています。
戦後日中間の貿易を開拓した先人達のチャレンジ精神に習い、これからの時代に必要とされる貿易商社のあり方を日々模索して行きます。縁のあった方や物を大切にし、相互発展を目指して行こうと思います。
代表取締役社長横井 儀規
代表取締役社長横井 儀規
PHILOSOPHY
経営理念
縁を大切に皆様との共栄
仕事を通じて様々な出会いに遭遇します。
お客様や仕入れ先様との出会いもありますし、商品、技術、また情報との出会いもあると思います。
協和交易はその一つ一つの縁を線でつなぎ、太くし、皆様と共栄していくことを理念とし、
貿易商社として常にチャレンジ精神を持つことを忘れず、社会に貢献していく事を目指します。
HISTORY
沿革
創業
日中戦争以降、国交が中断していた時代に、貿易を通して中国との交流を回復することを目指し1960年12月に創業され、窯業原料や工芸品などを取り扱いました。
苦難の時代
国交がなく政治的な妨害もあり、さらに中国内では文化大革命の混乱が続き、大変苦しい経営状況が続きました。しかし、様々な方の協力により、社長が交代しながらでしたが経営を続けていました。
第31回世界卓球選手権大会のサポーターに贈られた記念メダル
政治的環境の大変化
第31回世界卓球選手権大会のサポーターに贈られた記念メダル
1970年代に入り、中国の政治体制も落ち着き始め、1971年春に名古屋で開催された世界卓球選手権大会に中国選手団の参加が実現しました。弊社は、前会長の横井義一を中心に積極的に大会運営に協力し、そこで劇的な出来事に遭遇しました。中国選手団のバスにアメリカのコーワン選手が間違えて乗ってしまいました。当時は国交がなく政治的に敵対する国の選手同士が交流することはあり得ない事でした。コーワン選手は“あ、間違えた”といった表情で 急いで降りてしまいましたが、中国選手団の役員と思われる人が中国語で“乗りなさい”と叫びました。それを聞いた弊社の横井が英語で“カムバック”と声をかけるとコーワン選手はバスに戻り、愛知県体育館へ着くやマスコミに囲まれ大ニュースとなりました。このハプニングがきっかけで、アメリカ卓球選手団は中国に招待され、その先には米中間の政治的緊張が緩和し、1972年のアメリカ大統領の訪中と日中国交が正常化していく流れに一気に進んでいきました。前会長横井の“カムバック”という言葉もこの一連の流れを作った要素になったのかもしれません。
この“ピンポン外交”は、中国との政治、貿易ばかりかあらゆる方面での発展となっていきました。「草木もなびく中国詣で」と言われるほどの中国ブームとなり、協和交易の業績も一気にうなぎ上りとなりました。
唐山地震による天津簾原料産地の被害と、
協和交易の生産技術指導
協和交易は、簾の取扱に力を入れる方針を立てました。産地は、山東省と河北省の2地区がありましたが唐山大地震が起き河北省の簾の産地は壊滅的な被害を受けました。地震後、多くの日本の業者は仕入れを山東省に移しましたが、協和交易は地震の被害にあった地域での品質改善の指導に尽力しました。1970年代後半から1985年ころまで、1年に5回ほどの産地指導を継続した結果、努力の甲斐あって品質、生産量共に大きく発展し最盛期には、取扱量と品質は協和交易が一番と言われる状況までいきました。
OUTLINE
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